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SATAKE Kuniko - Field of the Air Elements - 2005. 5/9-21


私のテーマである「風」

・・・風についてお聞かせください。

 風というのはすごく観念的なものであったり体感的なものであって 、しかも触覚的であると思います。
空気の流れを感じて、それを風だと認識するのは普通のとらえ方だと思うんですよ。

 でもそれは何なのかといえば、もちろん目に見えないし、実体のあるものではない。
だからといって、目に見えないから存在しないということでもない。

 たとえば私たちが宇宙に飛び出していって、すごく遠くから、地球を覗いてみても、 地球は見えるけれどもそのなかの人までは見えませんよね。

 そこに誰がどうしているのかという存在認識が薄弱になってくるわけじゃないですか。
しかもそこにどういう人がいるのかも、よくわからなくなる。でもここには人が住んでいるんだというのは、自分がそこにいたからという意味合いで認知することができる。

 風もミクロコスモスの世界で・・・風という世界のなかに入っていけば、もしかしたらそこには、目に見えないんだけれども、分子レベルの活動がされている。
だからそれが動くことによって出来るのが、もしかしたら風なんじゃないかという解釈の仕方でとらえようと思ったんです。

 それを一つの風の分子の肖像的な・・・生活感とか肖像的な意味合いで制作してみようと、自分がそこに入ると、あたかも風の分子の世界に自分が入り込んでいくみたいな、何かそういう実体験として同等な意識みたいなものが芽生えてきたら面白いかなと思って・・・。

・・・版画を作り始めたときから、風がテーマだったんでしょうか。

 はじめは、ずっと油絵を描いていたんですが、そのころから風というのは私の心のなかにありました。
なぜ風なのかといえば、これは物理的に自分が感じたことなんですが、どうしても車酔いしちゃうんですよ。
小さい頃から車に乗ると必ず酔ってしまって、車を見るのもいやだったんです。
だから車に乗ったら、窓を開けて、顔を出して風に吹かれてそのまま走っていくということで、なんとなく自分の気持ちを解放させていました。
こういうことは誰でもあると思うんですけども、きっかけはそこから来ているんですよね。
勢いよく風が顔に当たってくるときに、目をつぶっていても、光がチカチカ見えたりしますよね。
吹いてくる風と、チカチカするその光の玉が、私のなかではいっしょなんです。
そこからイメージをとらえているんです。ある意味、自分では風が目に見えている。

・・・でも最初のイメージから、先に進んでいくと、少しずつズレが生じては来ませんか。

 最初はこんなに有機的なものではなかったんです。

 あるとき行き詰まってしまって、自分にとってもっと技量が上手くならなくていけないというプレッシャーで、
そちらの方向に、だんだん進でいってしまって、制作していくうちに、辛くなってきてしまったことがありました。
作品を作るのがつまらなくなってきて、自分が作家としてやっていく自信がバタッと消えてしまったんですよ。
そのときにこれ以上自分は絵を描けないなと思って作家を辞める決心をしました。そうしたら周りの人たちが心配してくれて、電話をかけてくれたりしたんです。
受け答えをしていると手が自然に動いていて、自動書記じゃないですが、落書きをしている自分にハタと気がついたんです。

 こういうことでもいいのかもしれないな・・・。

 何も自分が苦しんだり、いろいろなものをこうだと決め付けたりするんじゃなくて、
もう少し自然に自分の体から出てくるようなものを大切にしていかなくてはいけないんじゃないかと・・・。
絵としてカッコイイ部分だけじゃなくて、もしかしたら1番自分の情けないところを絵に描いてもいいのかもしれない・・・。

 でもそのときも風にはこだわっていました。
たとえば2枚のプロペラが回ることによって起こる風など、
象徴的なものにトライしていったらいいんじゃないかと思ったんです。
そしてそこから絵も大きくなってきましたし、木版リトグラフという技法に出会うことによって、
絵を描くだけじゃなくて、もっと工作的な要素というか・・・。
それが体を使って身体が解放される気持ちとピタっと、あったみたいなんです。

・・・作品を拝見していると、有機的な動きがあることによって、リズムが奏でられている。
そういう意味のポエムは感じますね。でも、佐竹さんの作品はどんどん巨大になっていくじゃないですか(笑)。

 最近は特に(笑)。でも小さいのもいっぱい作っているんですよ。
公募展を意識すると大きくなってしまうんですけど。

・・・大きい作品の方が作りやすいですか。

  そんなことないですよ。大きいと大変ですし。でも小さいのを沢山作るとストレスが溜まりますね。
版画というもの自体を・・・ある意味版画という枠だけじゃなくて、表現のツールとして考えたら、それは版画であろうが、タブローであろうが全然関係ないような気がしますよね。
ただ私としては版画のプロセスが、画面を作っていく構成上とても大切なものだと考えているので、
だから版画という表現方法に拘っていきたいなと思っているんです。

・・・版の持っている工作的な要素は楽しそうだなと思いますね。それに見ようによっては、
見る側の人間も、 作品から作品へと風のように流れていくんだなという気がします。

 風は誰でもわかるじゃないですか。自分にとっての風のイメージって・・・。
でも見たことがないから感覚的でしかないから、こういう風があってもいいのかなと、入りやすいんじゃないのかなと思っています。

・・・これからも風のシリーズは、続いていくんですか。

 少しずつ変わっていくと思いますが、自分が飽きるまでやり続けていくつもりです。

 5月のふっと頬を触る風が、さわやかであったりするように、目には見えないけれども、感じることができる。
あなたも風を感じに画廊に足を運びませんか。

~5月21日(土)まで。

佐竹邦子 関連情報 2005.5 2002.7

(C) Satake Kuniko

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