ギャルリー東京ユマニテ humanité lab vol.-3 中田ナオト展

【中田ナオト(なかだなおと)
1973年愛知県生まれ。2000年多摩美術大学大学院修士課程を修了。
作品は陶を用いた立体作品やインスタレーションで、今回の展示は立体の大作と、写真の発表になります。】

・・・98年に名古屋芸術大学美術学部デザイン科を卒業されたと画歴で拝見しましたが、
   まず制作のきっかけを教えて下さいますか。

 僕は元々建築やファッションに興味があったんですが、デザイン科といっても3年生の時にいくつかの選択コースにわかれるんです。 そこで “やきもの” に出会いました。

・・・普通やきものというと、器として使うものと考えがちですが、中田さんにとって焼物はメディアの選択肢としての一つということですか。

 作品のなかで一番メインとなるものは、僕は常に “やきもの” なんです。それは今までやきものをやってきたということと、それを捨てられない弱さというものもあるかもしれませんが、それをもっと突き詰めていきたいと思っています。他の素材と合わせることで、もっとやきものの良さを出せたりとか、逆に他の素材との・・・違和感を持つといわれる方もいらっしゃいますけど、僕はその逆も追求したいんです。

・・・今回展示されている作品は、やきもので作られた帽子やバットなど、当たり前のものが当たり前でないという違和感。バットは実際に打つことも出来ないし、帽子はかぶれば重いだろうし・・・。

 わかりやすくいうと置き換えみたいなものですね。イメージの置き換えや、本来出来ている素材から違うものに置き換えることによって出てくる面白みとか、制作してはじめて気づくことももいっぱいありますから、かなり慎重に考えています。一つ訂正しますと、バットはやきものではなくガラスなんです。

・・・すみませんガラスでしたね。ガラスにしても壊れますよね

 そういう儚さとか、ロマンチックなものへの憧れみたいなものを作品のなかに織り込むことで、見る側がそういった要素を抽出して、解釈してくれるということも含まれています。

・・・でも帽子の下のキャスターはなぜ?

 元々は学校のゴミ捨て場で拾った塑像台なんです。僕はよく拾ったものとか、既製品とかを使うんですが、あの2点の作品は、僕が子供の頃から聞いていた自分の両親の夢の記憶と、それを今の自分が思い返しているイメージをかけ合わせて作ったものなんです。帽子の下のひもは、聴診器なんですよ。

・・・お母さんは看護婦さんに憧れていたんですか。

 お医者さんとか看護婦さんのイメージがあったようです。でも血を見るのがいやでとかいっていたような気もするんです。それを確認して作ってしまうと、僕にとっては面白みがないので、それを聞いて作ってはいないんです。もしかしたら誰かの思いと混ざり合っているのかもしれないですね。

・・・なるほど。ここにある鏡の意味は?

 空を飛んでいるような雰囲気に見せたかったんです。空飛ぶ絨毯の上に乗っているような。鏡を使うことで、空を飛んでいるような感じ・・・鏡は3次元のものを2次元に写すものですよね。本当のこととウソのことをない交ぜにして見せる様が、見せ方としては効果があるのではないかなぁというのが一つありました。
見ていただくとわかると思うんですが、犬の表面のなかが写っている錯覚も同時に出てくるので、鏡を見ている時点で、内側を見ているように見える要素として使っています。普通の鏡ではなくて、少し嘘くさい西洋調の鏡を用いるというのは、昔、子供の時に家にあったカーペットのガラみたいな感じのものを探したからです。

・・・そうするとこの3点に共通するのは家族なんですしょうか。

 そうですね。家族というか。元々犬を作るきっかけになったのは、犬が死んだところから始まるんですが、結局生きているものとか、物は壊れて最終的にはなくなるんですけど、その永遠への憧れのような・・・。一見機械みたいに見えても、でも官能的で肉体的な作品にしたいなというのがありました。

・・・最初はヘルメットと、帽子と、鏡の上に座っている犬が、結びつかない感じがしたんですが、お話をお聞きすることで、中田さんのイマジネーションの原点が見えたような気がします。

 最近よく親のこと考えるんですよ。僕にとって大切なものは両親なんです。それは切っても切り離せないものとして毎日思うことの一つなんです。それを人にさらけ出すのは恥ずかしいことのように思うんですが、その恥ずかしさを超えたところにもっと違う価値があって、それをさらけ出して見せることで、見たままを感じ取ってくれるんじゃないかという気持ちがありました。
また作品を理解してほしい人のなかに両親というのがあるんですよ。今回試してみたかったのは、親が僕の作品に参加するのかどうかという、ちょっとした賭けみたいなものがありました。嫌がらずに、重い帽子をかぶってくれたり、協力してくれたおかげで、なんとか形として成立することが出来ました。感謝しています。

(C) Nakata Naoto

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